ども、AFP Kanaloaです。
とどきました。
ようやく、AFPの正式教会印になりました。イェイ!(死語)
今日からAFPの名を名乗れます。
と、同時に、社会的責任を負うわけですから、また、FPは、間違っても投資でデフォルトを起こして信用問題を起こすようなことはしてはいけません。うーん、引き締まる思いです。
しかし、この資格はあくまで現状は自分の人生設計のために活用していきたいと思います。
別に、他人の幸せがどうでもいいというわけではないのです。人の人生についてアドバイスをできる人間とは、まずは自分の人生を確固たるモノにできた人間(もしくは、できる見通しがあるもの)であるという持論があるからです。(あくまで持論。AFPの規定にはそう書いていません)
そうでないと、アドバイスされる側もたまったものではないですものね。
- 自分の足元をこの資格でまなんだ知識を生かして固めること。
- その過程でさらにもうひとつ自分の興味がある分野の資格をとっていくこと(たぶん、それは宅建)。
- 不動産投資を安定した収入を得られるものにすること。
- きちんと、次の自分のライフワークを見極めること。
これができて初めて、僕は他人に対して、「人生設計のお手伝い(貢献)ができる立場の人間」になれると考えています。
年金問題、後期高齢者医療問題、そして、わが国の人口問題・経済の先行きの問題。。。
おそらく、この先、国に頼ってばかりだと難しい人生が待ち受けることになると考えています。逆に僕ら国民がこれまであまりに甘い・ぬるい環境に胡坐をかいていた(おそらく、一部のものすごくがんばっている日本人の方々がこれまでの日本を支えていてくれたのでしょう)ことがおかしいのかもしれません。
一般的に日本人は、お金のことを考えることをタブー視する傾向、いや、国民性があるといわれます。
確かに、年がら年中「金、金!」というのは、どうかと思いますが、やはり人生をある程度豊かなものにするためには、一定額以上のお金が必要であることは皆さんの人生経験からもお分かりのことだと思います。
学生の頃は、僕はまぁ、とにかくその日暮らしの人間で、「やべー、明日食べるものがねーぞ」とかやっていましたが、それはそれで楽しいものでした。それは社会人の仕組みを勉強をしている過程であったからだと思います。(というより、何も考えていなかったが正しいかしら(笑))
ですが、社会人、そして家庭を持ち(もたない方もそうですが)、ある一定の「若さ」という時間的アドバンテージを失うようになったとき、そこで頼りになるのは、愛、そうでしょう、豊かな心、そうでしょう、でも、先立つのは、やはりお金なんですね。(何言っているんだ!というお叱り、ごもっともです。ですか、これは事実です。)
ロバート・キヨサキも言っていましたが、
「お金で人は幸せになれない。しかし、不幸を避けることはできる。」
とありました。この言葉はとても核心を得ている言葉だと思います。一定額以上の収入がないと、これからの人生まともな医療が受けられない可能性があります。(後期高齢者医療制度がそのはしりのような気がしています)
僕はお金だけではなく、それを得ていく過程の中で得られる
- 経験(から得られる学び・自信)
- 哲学
- 出会いとパートナー
も大事にして、自分の器を大きくし、その中で得た経験や知識・考え方を、そのときに悩んでいる若者に与えていければ良いんじゃないかと考えています。
以上、今日は、まじめにAFPとしての誓いでした。
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